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ふと耳をすますと、サイレンが鳴る音が聞こえてくる。
 音からすると消防車のようだ。火事だろうか、店の主人であるモシャモシャと無精ひげを生やしたおじさんが表に様子を見に出て行く。
 今日は飲みすぎた。大学の試験期間が今回長かったせいで勉強詰めの毎日だった。今日、やっと開放された俺はサークルのヤツラを誘って、テニスサークルと合コンをしたのだが、これが盛り上がりすぎた。日本酒とウォッカをチャンポンした挙句にウォッカはワンボトル開ける始末。先ほどから張り付くようなたちの悪い酔いで頭がグルグル回している。
「こんな時間に物騒だねぇ」
 誰に言ってるのかわからないが、隣でしょう油ラーメンをモゴモゴしていたおっさんが呟く。店にはおっさんと俺しかいなかったが、俺はおっさんを無視して、チャーシューメンをひたすらやっつける。麻痺した 舌で食べているラーメンは味がサッパリわからない。ちらと店の時計を見るともうすでに深夜2時を回っていた。
 そうしてるうちに、すぐに店のおじさんが戻ってきた。
「いやー、そこすぐの2丁目で火事だってさ」
「おい、マジかよ。俺んちのそばじゃねーか」
 独り言を言っていたおっさんが話に応じる。どうやら、おっさんは常連らしい。
「フクちゃんって2丁目に住んでるのかい?」
「歯医者の裏手にあるボロいアパートで一人暮らししてんのよ」
「へー、そりゃご愁傷様で。いやしかし、こんな時間に火事とはねぇ」
 ボリボリとヒゲの生えた顎を掻きながら話してる店のおじさん。こんな時間だと客は少ないせいか、さっきからあまり働かない。
「……ごっそさん」
 食べ終わると俺はすぐに金を払って店を出た。
 東の空がやけに明るい。あの辺は車も通れないほど道が狭い上に住宅が密集している。どうやら、相当燃えているようだ。
「ホント、物騒だな」
 上着のポケットから、マルボロを取り出すが、ライターが見つからない。
「ちっ、そういやさっき、やっちまったな」
 俺はさっきなかなか火がつかなくてイラついた挙句、川にライターを放ったのを思い出した。
 家のそばにある公園までヨレヨレになりながら歩くとなるべく綺麗なベンチを探して腰をおろした。
「おっ」
 横に線香花火の燃えカスと一緒にライターを見つけた。オイルはまだ残っている。近所のガキが花火で遊んでそのまま捨ててったか。
 ありがたくそのライターでタバコに火をつけ、一息吸った。吸えるだけ一気に肺にニコチンを通す。
 ――うめぇ……。
 タバコの煙と一緒に言葉を吐いた。
 オレンジ色に染まっている町を眺める。近所で火事だというのに俺はまったく感知していない。
 死人が出そうだな。他人事ながら、俺は直感でそう思った。こんな深夜じゃ逃げ遅れる人が多いだろう。あのへんは古い木造が多いし、古ぼけたお年寄りばかりが住んでいる。
 遠くで聞こえていたサイレンは今はもう聞こえなくなっていた。
 あんなにけたたましく鳴っていたのに俺は目が覚めない。
 あの位置で分かった。多分、俺んちも燃えている。みんな無事だろうか。婆ちゃんは寝たきりだから危ないかもしれないな。
 それはまるで他人事だ。酒でたっぷり浸された俺の脳みそに生えているブヨブヨになった神経では今の現実を本物としては反応してくれていないようだ。俺は鉛を流し込まれたような頭でぼうっとオレンジ色の空を眺めていた。

 サイレンが鳴っている。
 火に包まれた家の中で逃げ惑う家族。姉ちゃんが崩れた柱に足を挟まれている。親父はそれを持ち上げようと必死だ。お袋は錯乱している。婆ちゃんが見当たらない。逃げ惑う家族を無視するように炎はどんどん家を焼いていく。徐々に紅蓮で家の隅々を塗りつぶしていく。それは俺の家族をも塗りつぶそうとしていた。

 ――そんなの……ただの想像だ。


「出火している家にまだお婆さんが一人取り残されてるんですって」
 俺はハッと気がつく。公園の前でパジャマ姿のおばさんが二人で話し込んでいる。今聞こえたのもおばさんたちの会話だろうか。もう深夜2時を回っているはずだが、この近辺で火事が起こっているだけに近所の住民も不安のようだ。しきりに不安を消したいがために会話をしている。
今のは夢? 携帯を見ると店を出てそんなに時間は経っていない。多分、数分だけ眠ってしまっていたみたいだ。目の前で物凄い勢いで黒煙を巻き上げながらオレンジ色の光が深夜の闇の空を燃やしている。着ているシャツはいつかいたかわからない汗でベッタリとくっついていた。
 酔いの覚めた俺の胸はアルコールが回っていた時よりも鼓動を大きく、速く打つ。握った手はじっとりと汗をはらむ。心臓から送られてきた血液は次第に強くなっていき耳元で鼓動がなり始めた。血液は鼓動と共にドロドロとした嫌なものを俺の胸に流し込んでいく。
 親父たちは無事だろうか? 姉ちゃんは? 婆ちゃんが取り残されてる? 俺は何してるんだ?

 ブチッ。

 俺は、タバコのケツを噛み千切る。
 ――くそっ、何のんびりしてんだ俺っ。
 悪態をつくや否や、立ち上がるとオレンジ色の空に向かって走り出した。
 耳の中にこびりついたサイレンが生々しく騒々しいものになって行くのを感じた。俺はその時、脳天気ながらにあのサイレンは本物だったんだ、とやっと気がついた。


 家まで辿り付くと、目の前で黒煙を吐きながらオレンジ色の咆哮を上げている自分の家を俺は目の前にしていた。出火は奥の家だった。かなり飛び火をしていて、2件前の俺の家も燃やされていた。手前の路地はあまりに狭いために消防車が入れないのか、長いホースを直接、消火栓から繋いで放水している。細い路地を野次馬と警察官と消防隊員でごった返していた。俺はこんなに家が混雑しているのは初めて見た。
 野次馬とかでギッシリ詰まった道を俺はムリヤリ身体をねじ込む。
「ちょっと、君! これ以上は危ないから下がりなさい!」
 家の手前というところで警察官に捕まった。だが、俺は完全に考えるより先に行動が先走っていた。
「離せよ! 俺は家のもんだよ!」
「家の人間だろうと、なんだろうが通すわけにはいかんだろう!」
 警察官に突き飛ばされる。無様に横からコケた俺は完全に血が回っていた。家族を心配しない馬鹿がどこにいるんだ、と。
「このっ…!」
「シンちゃん!」
 殴りかかろうと振りかぶった俺の腕に誰かがしがみついてくる。振り向くとしがみついていたのはパジャマ姿の姉ちゃんだった。

 家のみんなは全員無事だった。最初に気づいたのは親父だったという。すでに隣の家まで火の手が届いていて、家の台所まで火が入ってたらしい。咄嗟に親父はお袋を起こし、眠ってた婆ちゃんをそのまま担いで路地に置いてくると姉ちゃんを探しに入った。2階の自室で寝ていた姉ちゃんは異変に気がつき家を出ようとしたところで、倒れてきた柱で足を挟まれたという。だが、その場は近所のおじさんたちが助けに来てくれたおかげですぐに逃げ出せることができ、結局全員無事だったとその場でお袋から聞かされた。

 一通り聞かされた俺は塀に背を預けてへたりこんだ。
「よかった、無事で…」
 息を吐くと思い出したように直接万力にかけられているかのような頭痛に戻ってきた。
 親父とお袋は向こう側で警察官と何か話している。
「アンタも人が大火事で死にかけてるのに合コンなんて、脳天気ね」
 何が可笑しいのか今も家が焼かれてる状況で姉ちゃんは笑っている。ふと俺は姉ちゃんの足首を見た。焼かれた柱が落ちたせいで、紫色になっている。俺は締め付けられるような思いでその足をじっと見ていた。
「でも……アンタが泣いてるの見たの、久しぶりだよ」
 警官に食ってかかったときにはすでに俺は涙をボッロボロこぼしていたらしい。あの時は完全に我を忘れていたから、自分が泣いてるのも気がつかなかった。姉ちゃんがニッコリ笑って言うもんだから、俺は恥ずかしくなって下を向いてしまった。でも、20歳にもなって情けなく泣いてる自分の涙は触ってみると少し暖かかった。
「でも、アタシに黙って合コンするなんて、100年早い! 今度、アタシのためにもっかい合コンやりなさい!」
パンッ。
 そう言うと姉ちゃんは俺の背中を叩いた。結構いい音が路地に響くとともに俺は、

 うぇえええええぇぇぇ…。
 「ぎゃー!」

 イタしてしまった。
 姉ちゃんにはエンガチョを何回もきられるわ、鼻まで逆流するわで散々だった…。


 その後、消火活動は朝までかかったが無事消し止められた。その火事で家屋4件を焼くという惨事だった。出火原因は寝タバコによるものだったと警察から直接教えてもらった。周りの住民の協力もあってか、この火事で死者は一人も出すことなく怪我人も数名で済んだという。俺ら家族は都営住宅を借りることができ、俺は今そこから大学に通っている。

 夜、サイレンが鳴るのを聞くたびに俺はいつもあの時のことを思い出す。
 何故、俺はあの時すぐに家に向かわなかったのか。
 酔っていたせいか、どうかはわからない。ただ、その音を俺は当たり前のことのように聞こえていた。まるで、テレビの中から聞こえてくるようなサイレンの音だった。
 いつも俺の耳の奥でサイレンは鳴り響いていた。
 その音はあまりに音量がデカくて大げさで俺はそれに気がつかなかったんだ。


〜おわり〜

 

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