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 大地に桶をひっくり返したように人の屍で埋め尽くされている。
 昨今の雨でぬかるんだその大地に身動きをするものはいない。皆、往々にして仰向けうつ伏せになって横たわっている。ここは戦場だ。
 つわものどもが駆け回り、ここで大いに殺し合いに興じたのだ。屍の数が多いのは、それだけ大きな力を持ったもの同士の戦だったことを物語っている。強欲どもの夢の跡が残され、犠牲となった者がここで死んで肉体を打ち捨てていったのだ。
 しかし、それはもう過ぎ去った話であり、ここにはもはや何も残されていない。勝利を得たものは意気揚々と家路に着き、敗北したものはいずこかに逃げ去り、死したものはすでに黄泉路へと向かった。勝利と敗北、どちらも時間と共に走り去り、ここにはあるのは雨水に浸されて漂う腐臭ばかりだ。秋雨はまだ続いている。さめざめと降りしきる雨音が戦の終わりを侘しくも切実に伝えている。
 その三千を数える屍の中で蠢くものがあった。その者の周りには円のように囲って広がるように屍が倒れている。屍に埋もれていたその者は疲れ果てたようなそぶりで、のそっと屍をどけてゆっくりと起き上がる。
 体中には己の血なのか他人の血なのかわからないものがあちこちにべったりと塗りたくられ、長い銀に似た白髪もところどころ血糊でパリパリに固まっている。ボロボロになった甲冑が崩れたところからは、白く淡い肌が肌蹴て露出している。とても男の肌とは思えない肌には蒼い燃え盛る炎のような痣が白い肌に刻まれている。両手に持っていた刃こぼれしボロボロになった二本の刀を地面に突き刺して立ち上がる。
 悪鬼のように渇きを訴えるギラギラとした眼で辺りを見回すが、周りに蠢くものは何一つして見当たらない。突然の悪寒に身震いをし、身体をかばうように両手を自分の身体に巻きつける。

「寒い…」

 吐く息は白い。それはゆっくりと戦場を去るべく歩み始めた。

 

 


 降りしきる雨が茅葺屋根を伝って落ちる雨音を聞きながら、耀は縁側の柱にもたれかかって余り布を針で縫い合わせている。雨の山は静かで雨音に包まれながらの作業は少し孤独感が少し胸を締め付ける。耀は小気味よく針を布に通していくが、昨今のことで頭の中がいっぱいになり、少々いらだちを感じていた。

「いたッ」

 雑念の戒めか、誤って指に針を刺してしまった。次第に血が小さな赤い点になって膨れて出てきた。耀はぼうっと血が出てきた指を眺める。昔の浅黒くて少し硬くなった指とは違う、透けるように白くて細い指。それとは対照的なほど赤い血の点。血を舐め取ると、かすかに鉄のような味がした。

 ――出る血の色は一緒。味も一緒。でも俺は、人間とは違う。

 耀は針山に針を刺すと、雨の山の景色を眺める。山の緑を布団にしてうずくまる里が見える。雨で白く霞む里はまるで絵に描かれているように、現実感が奪われた景色に見えた。

「やぁ、今日は寒いな」

 いつの間にか、笠と蓑をかぶった伊吹(イブキ)が目の前に立っていた。山を周ってきたのだろう、縁側にどかっと座ると水に濡れて重くなった笠を外し始める。耀は手元にあった手ぬぐいを渡すと、伊吹はすまんな、とだけ言って受け取ると着物の濡れた部分を拭き始めた。こんな濡れるところからわざわざ入らなくても、と耀は呟く。

「ちゃんと土間から入ればいいのに」
「ああ、別に構わない。それより、耀。お前そんな格好で寒くないのか?」

 相も変わらず少し薄着な耀を見て伊吹は心配した。ここのところ長雨が続き、寒くなってきた。秋も徐々に歩みを速めてきているのだろう。耀は少し拗ねたような表情を作る。

「……どうせ、風邪を引く身体でもないさ」
「しかし、身体を冷やすのはよくないな。さあ、中に入ろう」

 濡れた笠と蓑と一緒に耀の針山と布も持って居間へ入っていく伊吹。成す術がない耀は唖然とした様子で入っていく伊吹を見つめ、ため息を一つ着いた。おかげで集中力がすっかりきれてしまった耀は仕方ないな、と腰を上げる。
 ふと座っていた横を見ると、そこには水が小さい丸い球となって浮遊している。

「ッ!」
 パンッ。

 それを見た耀は慌ててそれをはたき落とす。叩かれた水の球はあっけなく縁側の床に落ちると弾けて小さく水溜りを作った。ぼんやりと考え事をしていた時に出来たのだろうか。それは耀が無意識に作ったものだったのだ。耀は恐る恐る居間のほうを向く。戸は閉められている。耀はほっと息をついた。伊吹に見られたら何を言われるかわからない、そう思うと耀は少し怖かった。
 大蛇となった時の記憶はほとんどない。だが、月の光を吸い取った後、確実に力が増していた。そして余った力が暴走することが時々起こるようになった。井戸の水で渦を作り、味噌汁を球にして沸騰させたりと、水に関したことでいつも暴走が起こる。規模が小さいのでいつも安堵はしているが、やはり怖いとも思うことがある。手に余る力は自分の無意識化で暴走する。そこに言い知らない恐怖が隠れていた。

 ――伊吹に、相談すれば…。

 いつも何かあると伊吹は助けてくれるが、伊吹もやはり不透明なところが多かった。何を考えているのか分からないことが多すぎる。同じ屋根の下で暮らしているのにも関わらず、伊吹との距離は果てしなく遠い。そのことが耀の口を封じ込める。そして何より名前を呼ぶのが怖かった。

「耀? どうした?」

 ハッと顔を上げるといつの間にか居間の戸から伊吹が顔だけ出して耀の顔を覗き込んでいた。不思議そうに見つめる伊吹の表情を見ると、耀は胸の中で何かが膨らんでいくのを感じた。

「……、なんでもない」
「そうか? ならいいが」

 伊吹との距離が遠いと感じると、胸の中で何かが大きく空気を吸ったように膨らむ。そんな感覚を耀はここのところ感じる。それが何なのか、それはわからない。だがそれはどこか恐怖に近いものだと思った。

「なぁ、耀」

 すぐに顔を引っ込めたはずの伊吹がまた顔を出して覗き込んでいる。

「……なんだよ」
「……」

 伊吹は何も言わずじっと耀を見つめている。耀はものを言わぬ目で見る伊吹が怖かった。自分の心の中を見透かされているような顔、その表情から何を考えているかわからないからだ。

「昼飯が終わったら、少し付き合わないか?」

 耀の表情がストンと落ちるように変った。呆気にとられた。伊吹から何か誘われるのは初めてだったからだ。

「別にいいけど…、どこへ行くんだ?」
「何、心配するな。危ないところには行かない」
「そういうわけじゃないけど…」

 そういう伊吹はいたずらを考えている子供のように笑う。何か企んでいるようにも見えるが、人らしい表情で笑う伊吹を見ると耀は何故か断れなかった。

 

 


「ほーれ、早くしろよ。そんなんじゃ日が暮れるぞ」
「ゼェゼェ…ちょ…っと、もう少しハァハァ、ゆっくりにできないのかよ…」
「何を言ってるんだ。これでもゆっくり歩いてるはずだが」

 前を歩く伊吹はしたり顔でズンズン先へ進んでいく。少し急な坂を伊吹は涼しい顔でペースを崩すことなく、息すら乱さずに歩いていく。一方、後方では肩で息をしながらのそのそとゆるいペースで耀が伊吹の後を追う。
 昼になってまるで操ったかのように雨が止んだ。これ幸いと昼飯が終わると、早速伊吹は耀を自分が持っている山から外へと連れ出した。早いペースで進む伊吹に必死でついていこうとする耀。耀は気がついていないが、実はすでに国を一つ跨いで来ていた。

 ――絶対、わざとやってる。

 時折振り向いてくる伊吹の表情があまりにも楽しげなのを見て、耀は確信した。それだけに少し苛立ちを感じる。力が暴走するぐらい有り余っていたはずなのに、気がつけばもはやヨレヨレだ。何か腑に落ちないものを感じる。いつの間にかこさえた異能の尊厳はもはやズタズタだ。ついに疲れきった耀は地面に膝をついて息を整え始めた。

「なんだー? もう降参か?」
「うるさいな…」
「しんどいなら、おぶってやってもいいんだぞ」

 両膝をついて休んでいる耀に歩み寄ってきた伊吹はおかしそうに笑う。

「…いい、自分で歩ける」

 息が整ったのか耀は再び立ち上がりフラフラとした足取りで歩き始める。その様子だと相当体力を削っているようだ。だが、意固地になっている耀は自力で歩こうとする。その様子に伊吹は苦笑いをする。

「ははっ…いじっぱりだな」

 あれでは、もたないな。そう思った伊吹は仕方ないとばかり息をひとつ着くと、風を切るように耀に走り寄り、そのまま素早い動作で一気に耀を抱き上げた。

「わっ」

 急に足をすくい上げられたものだから耀は驚いて目を白黒させる。その様子が面白いのか伊吹はおかしそうに笑いながら、耀を抱きかかえる。

「そろそろ限界だろう。無理するな」
「べ、別に無理なんかしてないっ。おろせよっ」
「まぁまぁ。これから会う人物は気が短いんでね。早く行かないと怒られてしまうんだよ」

 手足をバタバタ動かして暴れる耀だが、揺さぶられるどころか微動だにしない伊吹。しっかり捕まっていろよ、伊吹はそう言うと疾風の如き速さで山を駆け出す。周りの風景があまりの速さに前から後ろへと溶けるように収縮していく。あまりの速さに目が眩んだ耀は目をつぶってひしっと伊吹の胸にしがみつく。身体にぶつかって過ぎ去っていく風はまるで嵐の時に吹きすさぶ風のようだ。雷鳴が地に走っているかのような速度で走る伊吹の胸の中で耀は何故だかくすぐったい気分だった。

「よし、着いたぞ」

 あっという間だった。恐る恐る耀は目を開けると、そこには見慣れない社が建っていた。山の奥にひっそりと建てられている社は伊吹の山にあるものと似ているようでどこか違う。周りを巨大な古代樹で覆われた暗き森のその社は、装飾の類はほとんどなく質素な佇まいだ。鳥居があることで社と判断がつくが、色を塗られているわけでもなく、老朽の進んだ木材は時代を感じさせる。造りもどこか古いというよりも想像を超えるようなほど古代のものに見受けられる。

「……ここは?」
「伯父の社だ」

 伊吹はそういうと耀を降ろして社に歩み寄っていく。社の境内に誰かいる。境内には一人酒盛りをしている初老の男がいた。古めかしい白い装束を着て白髪の髪を独特な結い方で留めているその男の顔は酒気で赤い。横に広く背も少し低めの体型だが、その体躯は分厚い筋肉で固められている。頬杖をついて寝転がって瓢箪の底を覗いている。中身が空っぽなのを知るとため息混じりに起き上がった。

「おーい、伯父上」
「ん? おお、伊吹か。遅いぞ、何してたんだ」

 酒に夢中の男は伊吹に声をかけられて起き上がった男は言葉とは裏腹にへらへらと髭面を歪ませて笑って伊吹を迎える。

「なかなかこないもんだから、先に酒を飲んで待っていたところだった」
「伯父上、これ全部飲んだのか?」

 しゃがみこんで転がっている瓢箪の酒を物色する伊吹だが、中は全部カラのようだ。いくら振っても水の音がしない。

「昼には来るというからな、先に飲んで待っていたのだよ」
「伯父上、さてはまた朝から飲んでたな」
「ははは、ご明察だな」

 あくびれもせず、陽気に笑う男はとても人が良さそうに見える。伊吹以外の神に会ったことがない耀は少なからず緊張していた。ふと男は耀に気がついた。

「おい、そこの美人は誰だい?」
「俺の嫁だ。耀、こっちにきて伯父上に挨拶してくれ」

 伊吹が手招きしているのを見て、耀はそこでようやく二人のそばまで歩み寄った。少し人見知りしがちな耀には先ほどのやり取りの中に入っていける気がしなかったからだ。

「ほれっ、挨拶しろ。これは俺の妻で耀っていうんだ」
「は、はじめまして…」
「おお…、間近で見ると本当に美人だな」

 頭を小さく下ろしてお辞儀をする耀に、男はまじまじとその顔を見つめてくる。少し見惚れているようで、その様子を見て得意げになった伊吹が耀の頭をぺしぺし叩く。

「ははっ、自慢の妻だ。耀、こっちは伯父の綾羆(リョウヒ)だ」

 頭二つほど低い耀を子供のように叩く伊吹の手を不機嫌な顔で振り払う耀。しかし、未だに口が半開きで見つめてくる綾羆に少し身体が引き気味になる。

「おーい、伯父上? 酔っ払ってるのか?」

 その様子に少し様子が変だと思ったのか、綾羆の目の前で手を振る。綾羆はしばらく耀を見つめると表情が一変し、真剣な眼差しになった。

「そうか…、この娘が…」
「そうだ。これについて話をしにきたんだ」

 急に真面目な話になってきた様子に耀は伊吹の顔を見るが、伊吹もまたいつの間にか真剣な表情になっていた。そうか…、綾羆は歳を重ねて白くなった頭を掻くとまた表情を笑顔に崩した。

「まぁ、遠くから久しぶりに来たのだ。ゆっくりしていけ。今日は泊まるのだろう?」
「ああ、そのつもりだ」

 えっ、泊まるの? 耀は先ほどから会話の内容についていけない。泊まりなんて何も聞いていなかったし、今日中に帰れると思っていた。

「何を間が抜けた顔しているんだ、耀。まさか帰るつもりだったのか?」
「だって…、何も聞いてないぞ…」
「気づいてないだろうが、この山は俺の山から国を三つ超えたところにある。まぁ帰れないこともないが、帰っているうちに日が暮れてしまうだろうな」

 耀は目を丸くした。いつの間にそんなところまできていたのだろうか。だが、耀は自分が歩いた時にすでに国を一つ超えていたことに気づいてはいない。

「さぁ、久しぶりに客人が来たのだ。今日はとことん飲むぞ」

 先ほどの表情と打って変わって陽気に笑う綾羆に伊吹は苦笑する。社のほうで戸が開く音がし、そちらへ耀は目を向けると黒髪の少女が出てくる。綾羆と違い耀と同じような紫色に染められた質素な着物に身を包んだ少女だが、歳はカヤよりも少し上だろうか、切れ長の瞳はまだ幼いながらに妖艶な色気がある。小柄だが綾羆とは違い体つきは少し華奢な部類だろう。くせ毛の髪の毛を団子にして後ろで結っている頭は伊吹と耀の姿を認めると深々とお辞儀した。

「遠路はるばるようこそおいでくださいました」
「サク、蔵から酒をもっておいで。そうだ伊吹、お前のためにとっておいた焼酎があるのだよ」

 顔を上げハイと答えるサクと呼ばれた少女は小さく微笑み、慎ましやかな所作で小さくお辞儀をすると静かに社の奥へと下がっていく。腰の辺りから明るい茶色の毛並みで包まれた長めの尾が見えた。

「伯父上は、ここらの山を治める熊の神。サクは伯父上に仕える巫女で狼の化身なのさ」

 今回もやはり尻尾を見つめていた耀に気がついたのか、伊吹がこっそり正体を告げる。

「狼の化身? 巫女は人じゃなくてもいいのか?」
「別に人である必要はない。異能の才さえあればカエルでもいいぞ」

 カエル…、耀は以前河原で会ったカエルの化身を思い出した。あの泥臭い臭気とぬめりの強い肌を思い出しただけでも身震いしてきた。

「…いやなことを思い出しちゃったじゃないか」
「ははっ、まぁ河原の男もアレはアレで異能の才がある部類だ」
「そんなことどうでもいい…」

 早いとこ忘れよう…、耀はいらぬことを思い出させるようなことを言った伊吹を睨む。

「おーい、二人ともそんなところで立ってないで社に入れ」

 いつの間にか中くらいの甕を二つほど肩に担いだ綾羆が社の境内にいた。あの中身はすべて酒だろうか、背後にもサクがもう一つ甕を抱えているが本当にアレを一晩で全部飲むつもりなのだろうか。
 陽が傾いて赤い日差しが森の隙間から社を染める。伊吹についていくように耀は後に続いて社に入った。

 

 


〜つづく〜


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