戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り去るつむじ風のように秋が過ぎ、やがてゆったりとした足取りで冬がやってきた。
 そして辺りを重い雪が包み、音をすっかり奪ってしまうほどの頃、ようやく傷が完治した正成(マサシゲ)は綾羆(リョウヒ)の社の外にて、しんしんと降り続ける雪の中、足元から雪が解けて消え去るほどの熱気を発しながら、傷を癒している間に錆びついた剣技を取り戻すべく太い木の枝で素振りをしている。
 一定の間隔を持って振り下ろされる素振りの音以外、周りの雪によって音は消し去られ、そしてまた、その素振りの音も心身を一心に研いでいる正成の耳には届かない。枝を握り締めた両手は血が滲み、その血は正成の手を伝って、すっかり雪が解けてしまって黒い土が剥き出しになった地面へと滴る。しかし、その痛みですら正成の心を乱すことはなく、これを日が高くなる前から始め、そろそろ日が傾き始める頃となった今でも続いていた。

「……」

 それをカヤが社の境内よりじっと黙って座っていた。小さな手には正成に渡すつもりで持ってきたのか、手ぬぐいと思しき布きれを握っている。冷たい風の寒さで頬は赤く染まり、寒さに震えながら正成の様子を見つめている。

「おお…、まだやっておるのか」
「綾羆さま」

 そこへ大きな薪を担いだ社の主が現れた。綾羆は感心した様子で正成を見やると、薪を置き場へと持っていき、すぐさま戻ってきてカヤの横に腰を下ろす。

「お昼も召し上がらないで、ずっとああしてます…」
「はっはっは、先のことがよほど悔しかったのであろうな」

 優しい眼差しで正成を見る綾羆であったが、カヤのほうは病み上がりである身体の正成に対して少々身を案じていたので気が気ではなかった。

「でも…、まだ床から起きられて日も経っておりません…! あんな無茶をして、また何か怪我をして床に逆戻りでもなさったら…」
「なに、侍の子だ。やわな育ち方はしてはおるまいて」
「ですが…」

 そんな二人が話している中、ようやく正成は棒を腰より下に降ろした。どうやら終わったようだな、と綾羆が呟くと、カヤは急いで正成に駆け寄る。持っていた手ぬぐいを正成に手渡すと開口一番に、

「正成さまは鍛えると無茶をするを勘違いなさってますっ!」
「…あ?」

 眉間に皺を寄せて言うカヤの言葉に正成は呆気に取られた顔でその言葉を受ける。

「正成、カヤはお前のことを案じておるのだよ」
「ああ…」

 得心した顔の正成にカヤはむっとする。

「ああ、じゃないです。もっと自分のお身体を大事にするべきです」
「大事にしてたら、こんな身体になってねェよ」

 くすくすと含み笑いで答える正成だが、これではまるで売り言葉に買い言葉である。

「そ、そんなの屁理屈です! これからはちゃんと…」
「まぁまぁ、それよりも正成。お前に渡すものがあるのでな。ついてきなさい」
「渡すもの?」
「たまにはアタシの話もちゃんと聞いてくださいっ!」

 若干半ばべそをかきながらまくしたてるカヤを他所に、綾羆についていく正成。

「…んで、渡すものってなんだい?」
「すぐに分かるから、黙ってついてきなさい」
「なんか企みっぽくイヤだねぇ…」

 笑顔でかわす綾羆に、正成はいたずらっぽく感じて胡散臭げな顔をする。やってきたのは社から少し離れた小屋だ。

「……ここは?」

 小屋の中に入ると一面に大小様々な甕が並んでいる。それぞれには色とりどりの札が貼られ区別がなされていた。

「ここは私の酒蔵だ」
「……、これから酒でも飲もうってのか?」 
「それもいいが、今回はそうじゃない」

 そう言うと綾羆は一番甕が密集しているところの甕を一つづつどかし始めた。

「重そうだな…。手伝うぜ」

 甕に手を触れようとした正成だったが、触るか触らないかぐらいのところで、甕と指の間で紫電が走る。

「おっと!?」
「ああ…、済まない。その甕に貼られた札は魔除けなのだ」
「魔除け?」

 正成はまじまじと甕に貼られた札を観察したが、書かれた札の文字が達筆でさらに象形に近い文字ということだけしかわからなかった。

「その文字は旧い神が使っていた文字でな。今はもう私しか使っておらぬ」
「まぁ…、俺も鬼だからな。除けられて当然か」
「先に言っておくべきだった。済まない」
「…別に気にしちゃいないさ」

 薄く笑いながら正成はしきりに甕に触れようとするフリをしてそのたびに走る紫電で遊んでいる。

「ああ、魔除けで遊ぶでない。……お前は強いのだな。他のものがそれに触るとタダでは済まない」
「痛いっちゃ痛いぜ」
「あまりやりすぎるでないぞ。札の効力が弱まる」
「へいへい」

 どかされた一個の甕で遊んでいる正成を綾羆は呆れたように笑うと甕を再びどかし始める。しばらく遊んでいた正成であったがふと疑問が浮かび、作業をしている綾羆に顔を向ける。

「なぁ、なんで酒の甕に札なんて貼ってンだ?」
「む? 酒と言ってもここにあるものは全てが嗜好のためのものではない。儀礼や治療、魔除けなど様々な時柄に使うのだよ」
「ほう」

 綾羆は作業をしながら、色で区別された甕の中身を話すが、知識のない正成にとっては興味のない話だったのか再び甕の札をつっつき始める。

「まぁ、甕のために貼っているという理由は半分にすぎないがの」

 一通りどかし終えたのか、綾羆はしきりに自分の腰を叩きながら立ち上がる。そして、甕のあった中央の床の板を一本だけ外した。するとその下の土ではなく石の蓋が鎮座していた。その蓋にもやはり甕に貼られている札を四つ合わせたぐらいの大きさの札が貼られている。

「ふん…ぬ…っ」

 おもむろに綾羆は石の蓋に手をかけ、持ち上げようとする。凄まじく重い石の蓋なのか。こめかみに血管を浮かせながら少しづつだがゆっくりと石を持ち上げていく。

「お、おい。手伝おうか?」
「んぐぐ…」

 力を込めるのに必死なのか、完全に蓋を持ち上げるとひいひいと辛そうな表情で、正成に返事をすることなく石を静かに床に下ろす。

 みしみしみしみし…。

 見た目からは想像できないほどの蓋の重さによって、床の板が悲鳴をあげ始めた。そしてゆっくりとだが、徐々に石は丈夫なはずの床板をものともせず望むがままに沈みこんでいく。その様子に正成はぎょっと目を剥いて驚愕する。

「な、なんつー化け物石だ…」
「ぜぇ…こっ、これも封印なの…だよ…ぜぇぜぇ」
「中身はよっぽどのお宝なんだな…。…で、一体中には何が入ってンだ?」

 正成は綾羆が蓋を開けた土に埋められた石の箱を覗き込むと、そこには古い布で包まれたものが置かれていた。布がかかりきれていない部分から、刀の鍔らしいものが見える。

「……刀?」
「そうだ…」

 息を正した綾羆は石の箱から刀を取り出す。布が取り払われると、そこからは二本の刀が出てきた。

「随分と古い刀だな。これは両方とも太刀か…? 太刀の割に随分と質素な造りのようだが」
「こいつが私の元にきたのはちょうど伊吹が封印された頃だった」
「ほう…」

 二本の刀は、それぞれ柄の目貫は同じ黒だが、編みこまれた柄巻の色が紫と白と違う。綾羆は白の刀の鞘を抜く。

 ヒィン…。

 抜かれた刀は凍てついた氷のように澄んだ声で鳴く。鋭く鳴り響く調子ではなく周りとの調和を乱さぬよう優しく響いていた。切り込み傷が多いことから、かなりの数の戦場で使われてきたことが伺える。

 キィィーン。

 続いて綾羆は紫の刀を抜く。こちらは強く粘り強い音でしっかりと自身を主張するかのように鳴いた。周りに誰がいようとも自身を貫こうとする強さが音からも感じられる。やはりこちらも切り込み傷が白の刀に負けず劣らず多い。

「この二本の刀は双子の兄弟なのだよ。常に二本一緒に戦場を駆け抜けてきたらしい」
「へぇ…」

 正成は刀匠の名前を見るべく、白の刀身から柄を外す。しかし、茎には一文字すら彫りこまれていない。

「ん…、無銘刀?」
「そうだ」

 正成は紫の刀身の柄も外した。やはり何も彫られていない。

「……、どうしてこんな無銘の刀を大事に仕舞ってンだ?」
「無銘だからといって、その刀自身の価値を損ねているわけではない。それはある目的のために作られた刀なのだ」
「ある目的だと…?」
「そうだ。その刀は時を経る度に呼ばれる名前を幾度も変化してきたと言う」

 ほお、と感心した声をあげて正成は二本を持つとそれぞれ見比べる。

「私の元にやってきた頃、その刀は前の持ち主から鬼貫きと呼ばれていたようだ」
「お、鬼貫きッ!?」

 正成は思わず刀を放り投げようとしてしまう。

「はは、大丈夫だ。鬼退治に使われていたからそう呼ばれていただけだ。鬼自身が持ったからと言って精を吸われるだのということはない」
「そう…か…」

 口では納得したものの、少し正成の表情は硬い。

「ところで…、無銘刀の割に随分と知ってるンだな? そんなに有名なンか?」
「いや、そうではない。全部そのものたちが教えてくれたのだよ」
「…は?」

 再び二つの刀を見比べる正成に綾羆は苦笑する。正成はまったく理解できないという面立ちで刀身を覗いたり叩いたりしている。思いつく動作を一通りこなしてみたが、なんの成果も得られなかった。正成は胡散臭げに綾羆の顔を見つめる。

「……まさか、刀自身が喋るってーこたァねぇよな?」
「そのまさか、でございます」
「うえ…ッ!?」

 正成の問いに答えたのは綾羆ではなかった。白い柄巻の刀はやんわりと女性の声で言葉を紡いでいる。

「お、おい!? 刀が喋った!?」
「できる刀は喋りすらこなせる…、ただそれだけだ」

 そう冷静に男性の声で答えるのは紫の柄巻の刀だ。正成はどっちの刀からも話しかけられ困惑する。そんな正成を他所に白の刀が言葉を続ける。

「お初にかかります。あなた様が私たちの新しい主様でいらっしゃいますね?」

 新しい主? 白の刀にそう言われて正成は改めて綾羆のほうを向く。正成の視線を受けて、ゆっくりと綾羆は頷いた。

「その通りだ。この兄弟をお前に譲ろうと思ってな。前もってこの兄弟にもそう言っておいたのだ」

 その言葉をさらに両の刀が引き継ぐ。

「我々も持ち主が鬼というのは初めてだ」
「私たちはずっと人間の方に使って頂いてきましたから。造り主の方もやはり人間の方でした」

 鬼を狩り続けてきたと思われる刀だというのに、両の刀が鬼である正成にまったく嫌悪感を示さず言葉を紡ぐことに少しばかり正成は不審に思う。

「あー…、お前ェらはオレが持ち主でいいンか?」
「最初聞いた時はさすがに戸惑った」
「ですが、あなた様のお話に聞かれますと、どうやら本当に私たちの力が必要な方だと感じさせられたのです」
「お前ェたちの力?」
「正成」

 綾羆は真剣な眼差しで正成を見据える。その綾羆の双眸に正成は思わず半歩たじろいでしまった。

「な、なんだ…?」
「この刀たちは先ほども言ったが、とある目的のために作られたものだ。いつの時代もその目的のために刀たちは常に力を持ち主に授けてきた」
「いったいどんな目的のためだってンだ…」
「それは、使っているうちにわかるだろう。お前にそれを理解して欲しいためにもこの刀たちを渡そう。お前もまたこの者たちを正しく使えると信じておるぞ」

 はぁ。まったく要領を得られない正成は生返事で綾羆の言葉に答える。そして改めて自分の物となった二本の刀を見つめる。

「ちなみに、私たちにはそれぞれ利き腕に相当する持ち手が決まっております。私が左手で」
「我は右だ」
「ええと、お前が左手で、お前が右手…っと。ややこしいなそれぞれ名前とかないのか?」
「ございません。私たちはいくら時代を経ても無銘な故」
「そもそも我らは所詮戦の道具にすぎない」

 自分らを所詮物と言う刀たちに正成は少しもったいない気持ちを抱いた。喋る刀など、今まで一度も見たこともない。確かに戦で役には立たないかもしれないだろうが、それでもお宝だと思えた。

「便宜上、必要でしたらあなた様がつけてくださっても構いません。ですが、私たちはただの刀。頂きましたその名で召喚なされても、私たちはどうすることもできませんが…」
「そんなことは期待しちゃいねェさ。ただ、話しかけたりする時、ややこしンだよな…」

 正成は床に胡坐をかくと、うーんと唸り声で腕を組む。二人のために少しでも人間らしさを与えられる名前を、と頭を捻り始めた。

「我々は大抵白と紫などと呼ばれていた」
「柄巻の色で区別していただけますから」
「……そんなのつまんねェよ。ちょっと待ってろって。俺がイイ名前を考えてやっから…ううーん」

 しばらく考え込んでいた正成は突然ポンと膝を叩く。

「そうだ、こんなのはどうだ。柄巻が紫のお前が竜胆。んで、白いお前は葵」
「……花の名前…か?」
「私が葵…」

 正成は幼少の頃から祖父の趣向で草木や花に対して多少の知識を持っていた。大雑把で粗野な性格ではあるが、それに似合わず正成自身もまた草木に対してそれなりの愛情を持っていた。そして、様々な花の中でもっとも好きな二つの名前を刀につけることにしたのだ。
 だが、二つの刀はまるで元のただの刀に戻ったかのように黙り込む。その様子に正成は慌てる。

「お、おい!? 気にいらねェか?」
「……いや」
「いいえ、そうではありません…。そんな名を頂いたのは初めてでしたので…」
「竜胆か…、気に入った」
「私も、でございます…。刀の身分で言うのもおかしいかもしれません。ですが、心に染み入りました…」
「そ、そうか。気に入ってくれりゃ嬉しいぜ…」

 刀相手だが、真剣に考えた名前に感動された正成は照れてしまい、頬が紅潮している。

「その名前を永く呼んでいただけるよう。あなた様と末永く共に傍で控えさせてくださいませ」
「不肖ながら御仕え奉る」
「お、おう。よろしく頼むぜ…」

 二本の刀が正成を気に入ることで場の空気が良い方向へ転がったことに、見守っていた綾羆は微笑する。

「ところで…」

 場が和んできたところで、正成はある疑問が浮かび上がる。それは今までのことも含んでいる。それを今、綾羆にぶつけてみることにした。

「アンタは俺にこの刀をくれたり、あの蛇とかいう耀の旦那に力を貸してくれたりしているが…、大丈夫なのか?」
「大丈夫とはなんだ?」
「蛇がやろうとしていることってのは、いわゆるお上に反逆するってことじゃねェのか? アンタそんなことに手を貸して大丈夫なのかい?」
「おお、そのことか…」

 綾羆は得心した、と言わんばかりに顎の髭をさする。その様子に正成はさらに言葉を続けて追及する。

「ただの神ならそこまですることはないだろう? なんでそこまで肩入れをするんだ?」

 綾羆はただ黙って微笑んで髭をさすっている。答えるつもりがないのだろうか、と少々気が短い正成は少し苛立ちながら綾羆の顔を見つめている。心なしか、綾羆の表情に寂しげなものが混じっているようにも見えた。

「……、その話をするために場所を変えるとしようか」
「あ…、おい?」

 そう呟くように綾羆は言うと黙って小屋の外へと出て行く。先ほどの和んだ雰囲気とは違う、少しだけ綾羆の背中に寂しげなものを感じ取った正成は、腰に葵と竜胆をくくりつけると後を追い始めた。そして、正成はその様子からただならぬ事情を感じ取っていた。

 

 

 

〜つづく〜

戻る 次へ

 

作品がよかった、面白かったと感じてくださった方。

よろしければ上のバナーを押してくださると嬉しいです。(コメントも付けられます)

シリーズ物の作品のコメントの場合はタイトルと何話目かを付けていただけるとお返事しやすいです。

 

 

inserted by FC2 system