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 ――…ォーン。

 

 ――…コーン。

 

 ――…カコーン。

 


 オウマはまどろみの中で、遠くで小気味よく木槌が叩きつけられるような音を耳にした。

 カコーン。

 拍子よく打ち鳴らされる音と共に鳥のさえずりが聞こえてくる。
 ああ、もう朝か。まだ目蓋は閉じたままだが、薄く差し込んでくる陽の光を目蓋で感じた。オウマはゆっくり瞳を開けた。そこは見たことのない天井。いつも見ている自分の家の、自分の部屋ではないことに気がついた。

 カコーン。

「ここは……どこだ?」

 かけられていた布団から抜け出し、すぐ横の戸を引く。夏に近くなってから日差しが強い。薄暗い部屋から抜け出すと日の光がとてもまぶしく感じた。思わず右手をかざす。

 カコーン。

「ようやく、お目覚めか」
「あんたは…」

 徐々に慣れてきた目で外を見ると、家の前にある目の前の開けたところにヌシが立っていた。着物の上を脱いで、半裸になっているヌシは一本の斧を持っていた。先ほどからしていた音はヌシの薪割りだったようだ。ヌシは社にいた時と打って変わってにこりともしない。じっと見ていたヌシはオウマの方から視界を外す。傍らから薪を一本取ると切り株の上に置き、斧を振り上げる。

「フッ!」
 カコーン!

 短く吐き出される息と共に一気に振り落とされた斧は外れることなく、薪の中心に当たりそれを真っ二つにした。ヌシはオウマにかまうことなく、新しい薪を切り株に置くと斧を振り上げる。鍛えぬかれたヌシの筋肉は振り上げる腕を頂点にしなっていく。細身ながらに鍛えられた筋肉は醜く膨張することなく、身体を引き締めるが故のしなやかさを演出している。別に男の身体に興味はなかったオウマだが、しばらくぼうっとその様子に魅入られていた。

 カコーン!

 黙々と薪を割っていたヌシだったが、すべて割り終わったのか斧を地面に下ろした。結局、オウマは結局終いまでヌシの巻き割りを眺めてしまっていた。ヌシは着物の裾で額の汗を拭うとオウマの方を向いた。

「……いつまでその格好で眺めているつもりだ? 風邪引くぞ」

 ――え? ハッと我に返ったオウマは初めてそこで自分の身体を見た。身代わりとなって社に向かう時に着ていた着物がすっかり肌蹴てしまっている。日の光を浴びて光る、透き通るような白い肌、幼い柔らかさを残しながら綺麗に整ったまだ少女の身体。そして肌蹴た胸元には豊かに育った形のよい乳房が日差しを浴びて白く光っている。オウマは一気に自分の顔に血が回るのを、熱を持って感じた。オウマは裸同然で立っている羞恥以上に、自分に起こった変化に混乱した。

「なななな、なんだこれっ!?」
「ヌシ様ー……? 朝ご飯ができましたけど? きゃっ」

 可愛らしい声と共に廊下を歩いてきた少女は、半裸を晒して対面している二人を見て驚いたのか両手で顔を伏せた。とっさにオウマは身体をかばうように両手を回す。

「とりあえずちゃんと着物を着ろ。話はそれからだ」

 そういうとヌシは束ねた薪と斧を持って、家の裏へと姿を消した。両手で顔を隠している少女がちらちらとこちらを見ているのにオウマは気がついた。オウマは自分を落ち着けようと軽く胸に手をあて息を吐くと、肌蹴ている女物の着物を直そうとした。

「わっ」

 しかし、すっかり帯が緩んでいたのか完全に解けそうになった。オウマは慌てて着物を掴もうとするが時はすでに遅し、結局全て脱げてしまった。隣にいた少女はきゃーきゃーと大騒ぎしながら手で顔を覆いながらも指の隙間からしっかりとこちらを見ている。

「み、見るなよ!」

 

 


 


「どうぞ」
「ありがと…」

 いろりの前にちょこんと座っていたオウマは少女からご飯の盛られた茶碗を受け取った。
 あの後、オウマはすっかり動揺してしまっていた上に、慣れない女物の着物のためになかなか上手く着られなかった。オウマは育ちが育ちなので野良着しか着たことのなかった。儀礼用の、しかも女性用の着物など着たことがあるはずがない。その様子に焦れた少女が仕方なくといった感じで手伝ってくれたおかげでなんとか直すことができた。
 いろりを挟むようにヌシとオウマは座っている。ヌシは何も話すことなく黙って箸を動かしている。オウマは受け取った茶碗に手をつけず、ぼうっとした様子で朝食の用意をしている少女を見ていた。歳は十になるかならないくらいだろうか、おかっぱに切りそろえられた髪を揺らす幼い少女はてきぱきと働いている。勝気そうな瞳の少女は何が面白くないのだろうか、終始むすっとした表情をしている。


「どうした、アレが気になるのか?」

 黙々とご飯を食べていたヌシが箸を動かしながら話しかけてくる。着物を直してくれた時も急に少女は終始むすっとした顔だったので少し気にかけていたが、なかなか聞くことができなかった。オウマは遠慮しがちに頷いた。

「アレは、俺の巫女だ。名前はカヤという」

 ――巫女。それは人と山のヌシを繋ぐ存在。ヌシと人を繋ぐために里から差し出された異能の娘のことである。本来、巫女と通じる人は里の長だけなので、里の者は巫女の姿を見たことがない。話には聞いていたが、オウマは初めて巫女を目の当たりにした。この子もやはり生贄の身なのだろうか。自分もやはり生贄としてここに来ただけに、居たたまれない気持ちになった。
 オウマはヌシがようやく口を開いたのでちょうどいいと思った。

「あ、あのヌシ様……」
「ああ、そんな堅苦しい呼びかたをするな。他人行儀はかゆくて堪らん」

 さも煩わしそうに背中を掻いてみせ、にやりと笑うヌシ。その様子は、オウマの里の大人たちから聞かされてきた恐ろしげに語られた山のヌシの印象とはほど遠いものだ。意外なひょうきんさにオウマはポカンと開いた口が塞がらなかった。

「…そうだな。俺のことは蛇と呼べ。親しいものからはそう呼ばれているのでな」
「は、はぁ」
「そういえば、お前の名を知らなかったな。なんというのだ?」
「オウマと言います。蛇様…」
「様はいらん。オウマというのか」

 オウマねぇー…。そう呟く蛇は空の茶碗と箸を置くと顎をこする。何か思うとこがあるのだろうか。しばし、顎を擦りながら思案している。

「せっかく俺の嫁になったのだから、男の名のままというのはよくないな。その名前は捨てろ。俺が新しい名前をつけてやる。そうだなぁ……なぁ、カヤお前なにかいい名前ないか?」
「なっ」

 まるで犬か猫に名前をつけるようなぞんざいな様子にオウマは言葉を失った。いろりの左側に座って味噌汁をすすっていたカヤは、オウマをちらと見ると、知りませんとだけ言い、また味噌汁をすする。
 ――もしや、嫌われているのでは…。さすがにカヤの態度を見ていたオウマは、少々不安になった。一方の 蛇は、カヤの素っ気無い態度を特に気にした感じでもなく、腕を組んでうんうん唸っている。
 そんな様子のなか、オウマは少々の居心地の悪さを感じつつも、遠慮がちにご飯をかきこむ。少しの間、何も会話がなく食事が進められる。どこの家でもある朝の平凡な食事。しかし、目の前にいるのは山を治める主神。風景は普通でありながらこの異常な状況のせいか、気分的に食事をする気になれないオウマは、一通り手をつけるとすぐに食事を終えた。そして、聞きそびれていたことを聞くためにおそるおそると言った感じで口を開く。

「あのー…蛇様…?」
「だから、様はいらんと言っているだろう。なんだ?」

 くどいな、と呟いて蛇はオウマのほうへ顔を上げる。

「聞きたいこととはなんだ」
「なんで俺はこんな姿になってんでしょうか……」
「なんでって、お前…」

 少し驚いた様子でオウマを見ていた蛇は、そんなことか、と面倒くさそうに頭を掻く。

「当然だろう。お前は俺の嫁になったんだ。さすがの俺でも男を娶るわけにはいかない。だから、お前は俺の嫁として相応しいものになったというわけだ」
「そんな……」
「今さら後悔でもしているのか? お前はあの娘のために覚悟を決めて、俺の元に来たのだろう? それぐらい受け入れろ」

 オウマは、ちらと幼馴染のレンの姿を思い出した。吹き荒ぶ風の中でレンは悲しい顔していたが、あの後レンはどうしたのだろうか、オウマは今さらながら考えも無しに無茶なことをした、と思った。

「それと、変化は姿だけじゃない。お前はもはや人間ではない。その姿だといまいち分からないだろうがな。まぁ、いずれ分かる時が来るだろう」

 そういうと蛇は、オウマの姿を下から上へと無遠慮に眺める。そして意味ありげに、にやりと笑った。

「それにしてもなかなかいい娘に化けたものだ。元がよかったせいだな。先ほどの姿もよかった」

 オウマは先ほどの騒動を思い出し、一気に顔が真っ赤になった。今はちゃんと着物を着ているが、自分の裸を見られているような気がしたオウマは無意識に身体を両手でかばう仕草をする。気がつかなかったにしろ、あのような姿で表に出たことを後悔した。無用心もいいところだ。
 ――ほほう?
 その様子を見ていた蛇はオウマの仕草に興味を抱いた。

「あっ、あれは! ……ちょっと混乱してて気がつかなかったんだ」
「ははっ、後で顔を洗う時にでも自分の顔を見るといい。その辺にそうはいないほどの器量だ」

 何か言い分けを言おうとして口を開くが何も浮かばず、恥ずかしそうに俯いてモゴモゴと言葉を濁らせるオウマ。その様子に蛇は軽く笑う。

「井戸は土間を出たところにあるからな」

 蛇はそう言い立ち上がると、ぶつぶつと呟きながら居間を出て行った。

 


 

 


「…誰だこりゃ」

 朝食の後片付けを終えた後、オウマは早速言われた通り井戸から水を引いた。そして汲み桶に顔を覗き込むと髪が下がってきた。変化のせいか髪の毛も大分伸びているようだ。腰まではあるだろうか。髪を退けて、桶を見ると静かな水面に不思議そうな顔をした娘が映し出されている。綺麗に整った小さめの顔、鼻は綺麗に通ってやはり小鼻。大きな双眸はぱっちりと開かれ好奇心でいっぱいの瞳。確かに変わったと思ったが、わずかだが元の自分の面影も感じられた。男の時は黒瞳で黒髪だったが、今は瞳が碧眼に変わってしまっていた。やはり、蛇と同じものになってしまったのだろうか。不安が心を通って顔に映されたのか、先ほどとは変わって水面に寂しげな顔をした娘が写っている。

 ――はぁ…。俺はなんであんなことをしたんだろう…。

 レンの代わりに生贄になろうと思っていたとき、やはりオウマは冷静ではなかった。レンのためにと思っていた、あの時にあった硬い意思は今はもう霧散していた。今さらになって自分勝手な自己嫌悪が湧き上がってくる。もはや、後戻りはできないのに。

 ――お前はあの娘のために覚悟を決めて、俺の元に来たのだろう?

 蛇が言っていた言葉が頭の中でぷかりと浮かび上がってきた。少なくともオウマは蛇の言う通り、自分の意思でここに来た。それに結果的には命を取られるという最悪の形ではなかったのだ。今の状況はまったく悪いというわけではない。あとは自分次第。
 溜息を一つつくと思い切って、音をたてて顔を洗う。少しずつ暑くなってきた日差しだが、井戸の中でほどよく冷えた水は気持ちよく感じた。今は、この環境に馴染めるよう頑張らないと。オウマは後悔している気持ちを断ち切ろうと何度も顔を洗った。桶の揺れる水面にはもう寂しげな顔の娘はいなかった。

 

 

 

「ヌシ様」

 カヤが蛇の自室の戸を開けると、机に頬杖ついてうんうん唸っている蛇の背中が目に入った。まだ、オウマの名前で悩んでいる様子にカヤは、はぁと溜息をつく。

「なんだ、カヤか。何か用か?」

 振り向く蛇に、しばらく黙っていたカヤだったが、意を決したかのように顔を上げる。

「ヌシ様。何故、人間なんですか」

 蛇はカヤが何故ずっと機嫌が悪かったのか、察しがついた。

「なんだ、お前。アレに嫉妬していたのか?」

 図星だったのか、カヤの顔が急に赤くなった。それもボッと音がするぐらいの速さで。

「ちっ、違います! あんなに縁談があったのに全部蹴って、わたしに人間の嫁を探してこい、と言うし。大体、あの人間はわたしが選んだ者と違うじゃないですか。それでも連れてくるなんて。人間の何がいいのですか」

 カヤは普段、こういった行動は取らない。普段は黙って従うのだが、どうやら今回はよほど承服しかねるものがあったのだろう。蛇はその疑問が何処から湧いてきているのかわかっていないこの少女が可愛らしく感じた。

「ははっ、縁談と言ってもたわいのない娘ばかりだろう。あいつは人間のなかでもなかなか面白いヤツだったのでな」
「まだ、ありますっ。あの人、少しおかしいです。女の人なのに変な男言葉使うし…。先ほども自分が着ていた着物ですら上手く着れないようでした。…一体何者なんですか」

 カヤの疑問はもっともだ。オウマを社から連れ出した後、蛇はすぐに客間で寝かせたが、その時もカヤに対してまったく説明をしていない。もっとも、説明を求めようにも蛇はずっとオウマにかかりっきりだったので、今の今までカヤは何も知らされず、聞くこともできなかったのだ。

「すまなかったな。俺にとっても今回の件は少しばかり特殊な状況だったのでね。あれの仕草が男のように見えるのは元が男だったからだ」
「男……ですか?」
「そうだ」

 カヤは狐に抓まれたような顔をした。何故、自分が見つけてきた異能の力を持った女性ではなく、平凡な力のない男を連れてきたのか、しかも性を変えてまでして嫁にする蛇の意図がまったくわからなかった。

「ヌシ様が一体何をお考えなのか、私にはわかりません…。ですが、あんな人ではヌシ様の妻なんて勤まりません!」
「どうしてだ? 別に俺が決めたことじゃないか。ちゃんと世話もするし、お前には迷惑をかけんよ」
「私に迷惑がかからなくても、ヌシ様の迷惑になるじゃないですか! 絶対駄目ですっ!」

 まるで捨て猫でも拾った時にある子供と母親の会話。大抵の場合は母親のほうが優勢なものだが、やはり立場が違うだけあり拾ってきた側である蛇のほうが優勢だ。しかしカヤのほうも聞き分けがなく、返せ、今すぐ返してこい、といった状態だ。しばらく二人は言い争うがどちらも引く気配もなくこのまま言い争っても決着がつきそうにない。

「俺が決めた相手なんだ。別に構うこともないだろう。それとも何か? この俺に指図するつもりなのかな?」

 蛇の目に篭った冷たいものを肌身で感じとったカヤ。ついに圧力による強行手段を蛇がとったのだ。これにはカヤもさすがに反抗することができない。所詮カヤはヌシに仕える巫女。逆らうことなどできない。
 カヤの真っ赤で必死な顔を見て勝ち誇った顔で蛇は言う。

「言いたいことはそれだけか?」

 蛇は面白そうにカヤが次に何を言い出すか、期待して見つめてみる。カヤはまだまだ言い足りなそうだが堪えているようだ。あ、ちょっと泣きそう。

「私は…あんな人っ、嫌ですっ!」

 ピシャンッ!
 カヤは最後に捨て台詞を言うと部屋から出て行った。乱暴な戸の閉め方に蛇は苦笑する。

「くくくっ、カヤは可愛いな。しかし、あんな顔をするとはね。まだまだ幼いと思っていたのだが」

 カヤの先ほどの表情を思い出すだけでも蛇はつい吹きだしてしまう。
 実はカヤは生贄として寄越された存在ではない。元は山に捨てられていた赤子であった。たまたま通りかかった蛇は、赤子のカヤに秘められていた異能の力に気づき拾うことにしたのだ。
 立場は巫女という身ではあるが、蛇にとっては赤子のころから世話をしてきた、いわば娘のような存在。立場上、さすがに親として振舞ってはやれないものの、可愛い存在ではある。

「まぁ、わからんでもないがな…」

 蛇は両手を真横に開いて畳に仰向けに寝転んだ。

 ――それよりも…。

 懐から一つの小さな袋を取り出す。元々は藍色に染められているそれは、だいぶ古いのかボロボロであちこちがくすんでいて少し汚らしい。蛇は袋の口を縛っていた紐を解いて中身を取り出した。中に入っていたものは、一枚のお札。それには「御国造主守護符」と書かれている。蛇はそれを目の前にかざすと、ぼんやりと見つめた。

「…一度繋がった縁は思ったより深いものなのだな」

 蛇は遠い過去に会った一人の少女のことを思い出した。


 

 

 

 


〜つづく〜


 

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