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「綾羆さま」

 夕刻、耀は一人山の中での探し物を終えると社に帰ってきた。社ではカヤとサクが二人がかりで床に寝かされている満身創痍の綾羆の看病をしている。
 鬼との修羅場を潜り抜けた後、耀は言われた通りサクを連れてくると急いで綾羆を社へと運んだ。綾羆の機転とサクの的確な処置のおかげか、綾羆の左腕は肩まで腐敗することは避けることができた。しかし、術を維持しつつ鬼との攻防によって疲労が激しく、精の欠乏と疲労過多が見受けられた。手伝うことしかできない耀はサクとカヤに治療を任せ、綾羆に頼まれた鬼によって切り離された右腕と杖を探すことにしたのだ。

「杖と腕、谷底まで飛ばされてたよ。でも、右腕は…」

 少し顔色が青白い耀は腕に抱えていた布で包んである物を解く。赤く汚れた布の中からはすっかり白骨化してしまった腕が出てきた。身体から切り離された腕は精を断たれたために、一気に腐敗が進んでしまったのだ。まだ筋肉の腐敗が続いていたこれを見つけた時、耀は思わずえづいてその場で吐いてしまった。しかし、その残っていたものも社に戻るまでにすっかり腐り落ちてしまっていた。

「そうか、これでは接合は無理だな…」

 横になっている綾羆は脂汗を流しながら痛みに耐えている。身体中は処置後の布で巻かれ、傷口より吹き出た膿で布のあちこちが汚れている。耀はその痛々しい姿に胸が締め付けられる思いだった。綾羆のすぐ横には、耀たちを襲ったあの鬼も横たわっている。これも綾羆の指示で社まで運び、特に外傷もないのでサクの判断により綾羆の特殊な術で編み上げられた縄で拘束し寝かせてある。サクが来る直前まで綾羆がなにやら術をかけていたのが効果を表しているのか、真っ白だった髪の毛は色が戻ってきているのか濃い茶色になり、生気のなかった肌にも幾らか肌の色が出てきている。

「綾羆さま…、どうしてこいつも介抱しないといけなかったんだ?」

 綾羆をこのような目になったのはこの鬼のせいだ。耀は少なからず鬼に対して怒りを感じていた。しかし、綾羆は鬼を助けようとする。先ほども瀕死の身体で鬼になにやら術をかけていた。その行動に対して耀は不信感を抱いていた。

「耀…、鬼を憎んではいけない。鬼は望んでなれるものではない…。修羅の業に焼かれた者の成れの果て、それが鬼だ…」

 そやつもまた哀れな者なのだ。憎んではいけない。そう語る綾羆の目には憎しみや怒りは見受けられない。むしろ、その目に宿るものは悲しみと憐れみだ。しかし、それを認めることができず、耀は厳しい表情で鬼を睨む。

「こんな女…、山に捨ててくればよかったんだ…!」

 怒りが収まらない耀は吐き捨てるように言葉を強める。

「俺は女じゃねぇよ」

 稟とした少年のような声に、俯いて怒りに震えていた耀は驚いたように鬼の顔を見る。先ほどまで弱々しく息をしていた鬼の目がはっきり開かれている。強い意思の色が見られる赤い瞳が、耀の碧眼を見つめている。

「おお、目覚めたか…」

 サクに支えられて綾羆は上半身だけ身体を起こす。綾羆は安堵の顔で鬼を見る。

「気分はどうだ?」
「最悪だ。嫌な悪夢を見ていたみたいで、胸がムカムカして吐きそうだ」

 先ほどの瀕死のような姿が嘘だったようにハキハキと鬼は滑らかに答えている。生気のある活きのいい返事に綾羆は微笑んで頷く。

「どうやら、大丈夫のようだな。カヤよ、そやつの拘束を解いてやりなさい」
「りょ、綾羆さまっ!?」

 耀は綾羆を思い留まらせようと口を開くが、それを綾羆は大丈夫と制する。カヤが綾羆に指示された通りに鬼の拘束を解くと、鬼は正座に座り直し、深々と頭を下げた。

「爺さん、申し訳ないことをしたな。この通りだ、許してほしい」
「気にすることはない。私の一人の犠牲で正気に戻ることができたことは喜ばしいことなのだからな」
「しかし、それより前の犠牲もある。俺としたことが、面目ない…」

 鬼は自分の所業が許せないとばかりに顔をなかなか上げない。あの狂気に満ち満ちた剣舞を放っていた姿とは一致しないほどの落ち着きように耀は驚きを隠せず、動揺の色が顔に浮かべていた。

「お前、名は何と申すのだ?」
「…正成(マサシゲ)」
「正成…、侍の家の出か」
「…ああ、そうだ」

 今、里や邑(くに)を治めているのは侍と呼ばれている刀を操る者たちだ。武力による統治で侍たちは邑を治めている。そして侍たちは戦で領土を広げることによって発展を遂げている。今もどこかでは侍達による国取りが行われ、戦で血を流す者たちがいるのだ。
 侍、と聞いて耀は眉をひそめる。侍とは元々男の職であり、この邑を始めとした周りの邑の侍は男しかいないはずだ。耀がかつていた里は戦にはほぼ無縁の地であったが、時折侍を見ることもあったし、その存在については色々と聞いている。それ故に女性であるはずの正成が侍を生業としていることに疑問を抱くのは当然だった。

「カヤよ。湯を沸かすのだ。そやつに湯浴みをさせてやってくれ」

 カヤは二つ返事ですぐに立ち上がる。主神に仕える時のカヤはとても大人しく、そして言われた通りに行動する。サクに色々言われていたが、やはりカヤも主神に仕える巫女、分を弁えているのだ。

「俺も手伝おう」

 まだ正成と名乗る鬼のことを信じきれない耀はカヤの身を案じて、自らも手伝いを買って出る。すると先ほどまで慎ましい素振りだったカヤの顔が明らかに嬉しそうな表情になる。それに気がついたサクは手当てをしながらもカヤにきつい視線で浮かれているカヤに釘を刺す。しかし、耀が味方なら百人力と言わんばかりにサクを無視して耀の袖を引っ張る。

「姉さまっ、いきましょっ」
「お、おい」

 逃げるように社を出て行く二人を見送るとサクはため息をつく。サクも最近はカヤの強情に少し負けそうになっている。自分は間違ったこと言ってないはずなのに…。サクもなかなか折れないが、カヤもまた折れないのでこの件は膠着状態に入っている。苛立って爪を噛んでいるサクに綾羆は苦笑いをする。

「サクよ。少しは折れてやりなさい」
「しかし、他の主神さまに不快と思われてしまうかもしれないと思うと…」

 サクも意地悪く責めているわけではないのだ。彼女もまた可愛い妹としてカヤのことを案じているからこそ、強く言っているのだ。しかし、その思いもまた幼いカヤにはなかなか伝わりにくく、そしてサクも強情で素直になれないせいで、嫌われ者に思われがちになってしまうのだ。

「カヤもわかっていないわけではないのだよ。ただ、幼い子供に孤独を負わせるのは酷というものだ…」

 サクとはまた違う考えだが、綾羆もまたカヤのことを案じている身でもある。しかし、サクには綾羆は甘すぎると思うところがあるためか、こちらもこちらで膠着している。横で話をそれとなく聞いていた正成だが無関心と言わんばかりに大きなあくびをした。

 

 


「あちちっ!?」
「我慢しろ、そのうち温くなる」

 大釜で沸かしている湯を裸になった正成に無遠慮にかける耀。暖めた熱い湯を冷ますことなくかけるものだから、熱くて仕方がない。正成は今にも飛び上がりそうになるのを必死にこらえる。耀の手つきもいつになくぶっきらぼうだ。

「ね、姉さま、もっと丁寧にやりましょうよ…」
「いいんだよ。これぐらいで」

 いつに無く不機嫌な耀にカヤはどうしたらよいものかうろたえている。正成は扱いの悪さにむすっとした表情で耀たちに背を向け、身体を手ぬぐいでこれまた荒い手つきでゴシゴシと無言で擦っている。身体にこびり付いた血糊を拭うたびに手ぬぐいが赤く染まっていく。地面に流れる湯も少し赤く染まっている。これが自身の血ではなく、全て他者によるものだと思うと耀は正成に優しくしてやることなんてできなかった。

「正成さまって、肌綺麗ですねぇ」
「ああ?」

 険悪な雰囲気に耐え切れないカヤは正成に話しかける。しかし、肌のことを言われて少し不機嫌な様子で正成は振り返る。

「肌ねぇ…、そんなとこ褒められてもうれしかねぇな」
「そんなぁ」
「戦で生傷が耐えないからな、肌なんて気にしている余裕なんてねぇよ」
「せっかく女性なのに、もったいないですよう」
「だから、俺は女じゃねえ。俺は…男だ」

 男? 耀とカヤは疑問の目で正成を見る。正成のどこをどう見たら男なのだろうか。名前や口調を取れば確かに男っぽいとは言えるが、その容姿はどこからどう見ても女そのもの。強いて言えば声も少年っぽい感じがする。しかし、その柔らかい肌と膨らんだ胸、強調されたメリハリのある身体はどう見ても女性だ。
 明らかに疑っている様子で見てくる二人に苛立ちを感じた正成は勢いよく全裸の身体を二人の目の前に晒す。

「ひゃあっ!!」

 いきなりのことでカヤは例によって顔を両手で覆う。耀は反応できずもろに全裸姿を見てしまう。

「…あ、男の子がついてる」
「ッ!? どう見てもこれは男だろう!!」

 さらけ出された正成の股間をしばらく呆けたように見ていた耀が零した言葉に正成が憤慨する。正成の股間に小さいが確かに男性の象徴が息づいていた。元々男としての記憶がある耀はその存在自体にはカヤほど驚かなかったが、女性の身体についているのでその意外さに驚いている様子だ。

「おー…? どうなってんだ、これ」

 興味深々といった感じで堂々としゃがみこんで覗き込む耀、それに対して正成は顔を赤くしてしまう。

「お、俺は生まれた時から両方ついてんだよ…」
「へー」
「おまっ…! いじるなぁっ!!」
「別にいいじゃないか。減るもんじゃないし」

 変なところをつつく耀の指を必死で払う正成。

「姉さまって…変ってる…」

 先ほどの険しい表情はどこかへ行ったのか、変なところまで好奇心旺盛な耀の姿に呆れたような表情でカヤは言葉を零す。古代樹に囲まれた普段は静かな森の中で、いつになく騒がしい声が響いていた。

 

 

 

 ――俺は過去を取り戻し、決着をつけるつもりだ。

 綾羆は傷の痛みに耐えつつ横たわりながら、耀がやってきた夜に酒を酌み交わした伊吹の言葉を思い出していた。伊吹とはほんの五年ぶりの再会であったが、耀を手に入れた伊吹の身体から久しぶりに強い意思が迸っているのを綾羆は感じた。
 過去を取り戻す、か…。綾羆はまだ幼かった頃の伊吹を思い出す。

「兄者、これが私の息子の伊吹だ」

 父の手にひかれて連れてこられ、初めて綾羆の社に来た時の伊吹はまだ十を数えるほどの幼子だった。

「……」

 綾羆がにこやかに話しかけても返事をすることなく、伊吹はそれどころか他所のほうへ視線を向け、少しも綾羆を見ようとしなかった。

「伊吹、綾羆兄に挨拶せんか」
「……」
「兄者、この通りですまないが、なんとかしてやってくれ」
「はは…、これは気難しい小僧だな」
 
 最初の印象の伊吹はどこを見るとでもないうつろな瞳で物事を見る、まるで夢遊に心を奪われた者のようなつかみ所のない子供だった。
 伊吹の父は同じく蛇の化身であったが、伊吹と違い異能の才に溢れた存在ではなかった。神の中でも凡庸で数多くいる神々の中に埋もれる一人だった。しかし、八俣の首を持つ蛇の化身である伊吹は彼の兄弟の中でもかなり異質な存在だった。末の子供でありながら、生まれた頃にはすでに他の兄弟を軽く凌ぐ能力の持ち主で、それを怖れていた父親は伊吹を意識下でも無意識下でも疎んじ、母親もまた得体の知れない力を恐れていた。そのため、伊吹は半ば放っておかれた状況で育ってきた子供だった。思えばあの頃から伊吹は子供ながらに孤高の存在であった、と綾羆は改めて感じている。
 生まれた環境があまり良いとは言えない幼少時代を渡ってきた伊吹は物静かで言葉数も少なく、感情をあまり表に出すことのない子供だった。綾羆のもとに修行をするためにやってきたころがちょうどそのぐらいの歳だった。子供ながらに並の力を超越する力に伊吹の父親は手をこまねいていたのだ。伊吹の父親を弟に持つ綾羆は、その弟から相談され伊吹を育成することになったのだが、それはそれは大変なことだった。ちょっとしたことで凄まじい暴走を引き起こすことが多く、綾羆は暴走を食い止めるのに手一杯で修行はなかなか進まなかった。
 伊吹からの歩み寄りがなかなか望めず、難しい性格で手をこまねいていた綾羆だったが、当時同じく綾羆に預けられていたもう一人の少年によって、伊吹は少し変っていった。

「お前が、お師匠様の言ってた伊吹か?」
「……?」
「俺の名前は緒乃(オノ)だ。よろしくな」

 緒乃は神族の同士の争いによって独りとなった神の子であった。そしてその争いで残った唯一のヒトの化身だった。緒乃もまた過酷な環境で育ってきた子供だが、それによって性格は歪むことはなく、明るく活発で尚且つ有り余る元気を発散することに躍起な強靭な少年に育っていた。あまりにも有り余っているためによく無茶をすることが多く、可愛いらしく思いながらも綾羆はその限度を知らない行動に頭を悩ませていた。伊吹よりも前に緒乃を預かっていた綾羆だが、十一と歳が近いため気が合えば二人にとって良い環境になるのではないだろうか、と伊吹を預かることにしたのだ。これが功を奏し、伊吹は少しづつだが表情らしいものを現し始め、歳が一つ超えるころには二人は常に行動を共にするほどになった。活発な緒乃が仕向けるのだろうか、緒乃一人を預かっていた頃よりも、二人はよく遊びよく学び、よく無茶をするようになった。
 虎の棲み穴に入り込んで寝ている虎の顔に自分の名を落書きしたり、大亀を龍に投げつけて龍の鱗にどれほどの疵を与えられるか試してみたりと、度胸試しと称して緒乃は伊吹をそそのかしてそのようなことを繰り返していた。
 当時の巫女は大人であったが女一人で神でもある悪ガキ二人を抑えることもできず、無茶の度が過ぎることも多かったことから危うく命を落としかける危機に陥ることもあり、綾羆も度々叱ったが懲りることなく叱られてはまた無茶をしての繰り返しで綾羆をよく困らせていた。
 思えばそれが事の最初だったのかもしれない。二人はとても気が合う友人というよりも、絆の深い兄弟のような関係だった。

 

 


「綾羆さま? 考え事ですか?」

 仰向けになって社の天井を眺めていた綾羆の顔をサクが心配そうに覗き込む。

「昔を…、思い出していたのだよ」
「そうですか。まだ痛みますか?」
「少し楽になった。ありがとうサク」

 綾羆が礼を告げるとサクはハイと少女らしい笑顔で返事をする。その笑顔に綾羆は過去に囚われ沈鬱だった気持ちが浮上するのを感じた。

 ――耀は、伊吹の支えだ。なんとしてでも修行をある程度のところまで持っていかねば。

 伊吹が過去を取り戻すためには耀の存在は不可欠。伊吹のためにも耀には頑張ってもらなければいけないだろう。冬に入ってしまう前にそこまでいくのは難しい現状だが綾羆はたとえ傷が癒えずとも、修行を続行することを静かに胸のうちで決めた。

 

 


 秋になり赤や黄色に色づく木々の中を伊吹は一人歩いていた。ひらひらと枝から零れ落ちていく落ち葉が伊吹の肩を掠めて落ちていくが、伊吹はさして気に留める様子はない。その顔は何かを思案する表情で満ちている。伊吹は思案するままに歩みを進め、やがて一つの場所にたどり着いた。
 伊吹の目の前には赤い巨大な杭が二本ほど大地に突き刺さっている。玄武洞、それは以前に耀が倒れた場所だった。伊吹はさらに歩みを進め、赤い杭の間を通っていく。そこには藁で作られた巨大な注連縄を一本かけられた洞窟が口を開けている。暗い口を開けた洞窟から流れる風は近づくものを威圧するような凍てつく冷たさを帯びている。
 中に入ると風を吐いていた入り口とは打って変わり、中は静寂に包まれている。天井や両脇の壁には巨大な文字が列を成して、三列の呪文がそれぞれ青赤黄の色で書かれている。
 伊吹は無言でその呪文の回廊を進む。蛇のように右へ左へとうねる道は若干の下り坂道になっている。そして進めば進むほど、先ほどの風を上回るような冷気が立ち込めるように伊吹の身体にまとわりついてくる。吐く息も白さを増していく。
 永遠に続くように思わせた回廊は突然終着を告げる。そこは人が数人しか入れない程度に狭い空間。縦に長い長方形の空間には一つの扉が静かに佇んでいる。厚く重い扉を伊吹は両手で開けていく、重くて厚い石の扉が重厚な低音を響かせながらその口を開いていく。開けていく向こうには巨大な湖が広がっている。その広さはあまりにも広大。山の下に存在するこの地底湖は山の半分を占めるほどの広大さを持っているかもしれない。そのほとりにぽつんと石棺が一つ置かれている。特に飾り立てられている様子もなく質素な佇まいでそこに無造作にまるで打ち捨てられているようにある。伊吹はその石棺に近づくと重い棺の蓋を少しづつずらしていく。

「……今の俺にできるのか。これを受け入れることが」

 伊吹は白い息と共にためらいが篭められた言葉を零す。その石棺には収められていたのは、誰かの朽ち果てた亡骸ではない。そこには胴体から切り離されてもなお静かに脈動を続け息づく大蛇の七本の首と一本の尾だった。

 

 


〜つづく〜

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