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 正成(マサシゲ)が目を覚ました時、見知らぬ男が枕元に座っていた。その男の瞳は耀(ヨウ)と同じく澄んだ深い色を放つ碧眼。男の精悍な顔は無表情に近いが、吸い込まれるようなその碧眼に正成は一瞬見惚れてしまうが、次の瞬間には警戒に満ちて強張った表情が浮かび上がる。

「…何者だッ! …うぐッ」

 起き上がろうとする正成だが、全身に激痛が走り、起き上がることを身体に拒絶される。

「まだ起き上がるな」

 正成が痛みで強張った身体を倒れかけるのを男がやんわりと抱きとめて、ゆっくりと床に下ろす。激痛に息絶え絶えの正成は周りを眺める。古い樹で作られた壁や天井、少しカビ臭さのある湿った木の匂い。左手の壁には見慣れた青銅の鏡が飾られている。どうやら、戦いの後に綾羆(リョウヒ)の社まで運ばれたようであった。正成は辛うじて動く自分の腕を持ち上げる。きつく巻かれた白い布が腕全体を覆っている。ところどころ、血が滲み痛々しい様を呈していた。

「……」

 男は正成が大人しく床についていることを確認すると、正成の腕を取って脈診を取り始めた。何も語りかけることなく寡黙に作業を続ける男の様子に、正成は自分に危害を加えるつもりはないと判断すると、痛みで強張りつつも身体を弛緩させた。

 ――コイツも神かその属性か?

 綾羆の社にいるのだから、少なくともそうだろう。正成は社のヌシはどこにいったのかとあちこちに目をやる。だが、狭い社の中で綾羆はおろかサクの姿も見つけられない。どこかへ出かけたのだろうか。

「あっ、正成さま、目を覚ましたんですねっ」

 正成が社の戸に目を向けた時、ちょうど戸が開きカヤが社の中へ入ってくる。両手には背の低い草を両腕いっぱいに抱えている。

「あったか。俺の山ではないのであるかどうか、少し不安だったのだが」
「はい。ちょっと前に姉さまにこの薬草のことを教えてもらってましたから」
「ほう…。薬草の知識もあったのかあいつ…」

 カヤと親しげに話す男の口から耀の名前を聞く。正成はもしや、と思いカヤに話しかける。

「おい、カヤ。その男、何者だ?」
「え、私の山のヌシ様で、姉さまの旦那様ですけど…」
「そうか…、お前ェが耀の…」

 ようやく正成は腑に落ちた気がした。だが、一つ納得がいかなかった。何故、この男が今ここにいるのだろう。

「お前ェ…」
「俺のことは蛇とでも呼んでくれ」
「じゃあ、蛇さんよォ…、なんでアンタ…ここにいるんだ…?」
「ま、正成さま…?」
「嫁がさらわれたってのに、なんで呑気にこんなとこで俺なんぞの治療をしてんだ?」

 まっすぐ伊吹(イブキ)の顔を見て疑問を口にする正成。その言葉を聞くと伊吹は作業していた手をやめ、正成をじっと見つめる。ただならぬ雰囲気にカヤはうろたえて双方の顔を見比べている。

「詫びなければならないからここにいる、で理由になるかな…?」
「詫び…だと?」

 正座して作業していた伊吹だが、胡坐に組みなおし言葉を紡ぐ。

「伯父上から話は多少聞いた。お前が何者であるか、伯父上に何をしたか、もな」

 伯父上とは綾羆のことだろう、綾羆に正成が何をしたか、それは正成自身も忘れるはずもない。蛇と名乗る男はその事情を知っているのなら、自分はいかなる叱責にも甘んじて受け入れなければならないだろう、正成は腹に覚悟を決めようとしていた。だが、伊吹の表情は依然として変わらず無表情と言っていい顔だった。

「伯父上にこれ以上責めることを許さないと言われているが、元々俺からは何もするつもりはない。だが、お前が鬼であろうとなんであろうと、他人であるお前が俺の嫁に関わったがために受けたその傷に対して詫びなければならないと思っている」

 感情の篭らぬ顔でそう話す伊吹だが、ずっと治療をしてくれたことから本当に詫びの気持ちがあるのだろうと正成は感じ取った。

「詫びるなんて…、俺から首をつっこんだだけだぜ。それに耀のことは、他人だとも思っちゃいねェ」

 その言葉を聞いて、ようやく伊吹の顔に笑みが浮かぶ。

「嫁は友人が少なくてな。あいつの味方になってやってくれると助かる」
「元から…、そのつもりだぜ?」

 伊吹の笑顔が浮かぶのを認めると正成もいたずらっぽくニヤリと笑ってみせる。二人が笑みで会話をしているのを見て、カヤはほっと息をついた。

「耀をさらった者達が何者なのかはわかっている」

 会話が落ち着いたころ、ふと伊吹は口を開く。

「恐らくはまだ耀は健在だろう。耀をさらったことで狙いもわかるからな」

 独り言のように話す伊吹だが、何もわからない正成とカヤには話が見えてこない。

「悪ぃ、ちゃんとわかるように説明してくれねェか?」
「ふふ…、さっき詫びた通り、これは俺と耀の問題だからな…。お前たちにはわからなくて当然だ」
「益々わかんねェ…」
「もっとも、耀自身もわかってないだろう。自分自身が一体何者なのか、をな」
「???」

 まったく話が見えない正成は呆けた顔で伊吹を見つめている。それは横にいるカヤも同じだ。

「とても旧い話だ。これから先、旧い時代とともに失われた過去が蘇ってくるだろう」

 伊吹は懐から一枚の紙を取り出す。「御国造主守護符」と書かれたそれを見つめる伊吹はとても懐かしげに、そしていとおしげにそれを眺めている。そして眺めることに満足した伊吹は正成へと視線を戻す。

「これから起こることに首をつっこむと言うのなら、相応の覚悟が必要だ」
「……」
「お前にその覚悟を背負うほどの理由はあるのか?」
「理由ね……、話はよくわかんねェけどさ」

 伊吹を見つめていた正成の顔に凄惨な笑みが浮かび上がる。

「この俺をこんな目にあわせたヤツはタダじゃおかねェってことが、俺にとっての確かな理由だ」
「ククク…、威勢がいいな」
「もちろん、さらわれた友を放っておくなんて侍のやることじゃねェ。それもきっちりやらせてもらうぜ」
「そうか」

 満身創痍の身で凄みの笑みを爛々と浮かべる正成を涼しげに受ける伊吹も、クスクスと可笑しそうに笑う。

「まぁ…、仕返しをするにしても、だ」
「…あ?」

 再び正成の腕を取る伊吹。

「まずはその身体を癒すほうが先だな。ある程度治るまでは付き合ってやる、それが終わったら…、手伝ってくれるか?」
「上等だ。こんな傷すぐに治してやるぜ」

 すっかり意気投合している正成と伊吹にカヤは背中でくすりと柔らかく笑うと、二人のためにお茶を用意すべく社の外へと出て行った。

 

 


 そして同じ頃、とある部屋で耀は囚われていた。
 腕、足、首、胴のそれぞれには頑丈な綱が巻かれ、それぞれの綱は別々の柱に繋がれ縛り付けられている。綱にはある程度のたわみがあり、頭を掻く程度の動きはできるが、それ以上のことはすることができない。その上、この綱はどうやら生きているようだ。時折、綱自体が脈動し呼吸をすることでただの綱ではないことを耀の肌に伝えていた。そして、呼吸をする度に耀の精を吸う綱によって、耀は衰弱していた。耀自身もまた部屋の中心にある柱に背を預けて、足を投げ出すような形で座らされている。
 朦朧とする視界の中で、こういった状況にまったく不慣れな耀にはここから逃げ出す余地が見えないように見えた耀は絶望感に打ちひしがれていた。

「あら…、せっかくのご飯にまったく手をつけてないのね…」

 気がつけば、目の前に一人の女が立っていた。その女は以前、夢の中で出会った人物。耀の前にしゃがみこみ、気だるそうに髪の毛を弄りながら、目の前に置かれた冷たくなった飯を箸でつついている。

「誰…」
「うふふ、こうやって実際に会うのは初めてね」

 霞む目では女の顔も満足に見ることができない。女の声だけがまるで夢のなかのように実感のわかない囁き声に聞こえる。

「アタシの名前は音遠(ネオン)。伊吹ちゃんの姉よ」
「伊吹の…、姉…?」

 伊吹の名前聞き、下がっていた顎を少し上げる。どうして伊吹の身内が自分を捕らえた者のところにいるのだろうか、衰弱した頭では思考もまともに働かない。

「うふふ…、あなたを連れにきた男もアタシの僕。そして、あなたをここに連れてきた男は、伊吹ちゃんとアタシのお兄さんよ」
「どうして…」
「別にアタシ達は伊吹ちゃんの味方じゃないだけよ。むしろ、あの子の味方なんて伯父様みたいな酔狂な人たちだけ」

 音遠は楽しげに耀の耳元で残酷な事実を囁き続ける。時折、耀の形の良い白い耳を冷たい指でその感触を楽しみながらなぞる。

「だって、あの子は私たちの世界では罪人…。本当ならあなたが住む山に封印されているはずなんだから…」

 ――封印? 初耳だと耀は思った。伊吹の様子からはまるで封印されていたという印象がない。むしろ自由奔放な印象しかない。好きなように自分の山を歩き、自分の望むように生きている。その飄々とした印象がまさに伊吹だ。それがまさか封印されていたなどとは考えられない。

「ふふふ、あの子はね。最初は山の奥深くにある地底湖に封印されてたのよ…。とぉっても厳重にね…。でもあの子、とっくの昔に封印を解いてたのよ。うふふ、さすがよね」

 罪人が勝手に封印を解いた事実を可笑しそうに話す音遠。それが本当の話なら恐ろしい話のはずだろう。封印を施した者にとっても失態である。それをまるで他人事のように話す音遠に対して、耀は背筋が寒くなる思いだった。

「八つあった首を全部切り落とされて、おまけに尻尾も切られて胴体だけにされたのに、その状態でものの数百年で封印を解いたみたいね…。ホント…神様というよりも化け物ね。うふふ」
「なんで…、伊吹は罪人なんかに…。どうして封印までされて…」
「アタシにしてみれば、どうして今まで大人しかったのかのほうが疑問なくらいだわ。封印される前は、同じ神ですら恐れをなすほどの力で暴虐の限りを尽くしていたのにね…」
「伊吹が…、暴虐の限りを…?」

 信じられる話ではなかった。今の伊吹見て、それを信じろというほうが難しいのではないだろうか。耀はぼんやりとした頭に無理やり揺さぶられているような不快感を覚えた。

「信じ…られない…」
「うふふ、あなたは一体伊吹ちゃんの何を知っているのかしらね。あなたが知ってるちっちゃな伊吹ちゃんで、伊吹ちゃんの全てを計ろうなんて、到底無理な話なのよ?」
「そんなこと…」

 音遠の言っていることは正しい。だが、だが音遠が言うこと全てが正しいのだろうか、ぼやけた頭を必死に動かそうする耀。しかし向けられた事実を否定することは疲れた頭では難しい話だった。

「でも、伊吹ちゃんは変わったのかもしれないわね」
「……え?」

 突然、話を転向させる音遠に耀は戸惑う。

「もしかしたら、アナタが現れたことによって、伊吹ちゃんの中でも何かが変わろうとしているのかもしれないわね」
「……」
「だから、こうやって色々なものが変わろうとしているのかもしれないわね」

 可笑しそうにクスクスと笑う音遠は立ち上がって、耀を見下ろす。

「でも、その変化を見るためにはちゃんと生きていないとダメなのよ? せっかく面白くなってきたんですもの。アナタもしっかりその目で見なきゃもったいないわよ?」

 耀から背を向けて歩き出す音遠。部屋にある唯一の戸から鍵が外される金属音が鳴る。

「だから、ご飯はしっかり食べなさい。ここの主もアナタには生きててもらわないと困ると思うしね」

 視界から光が消えかけていく中、最後まで耀は音遠を見つめ続ける。開け放たれた先へと歩きながらも音遠は言葉を続けていく。

「それじゃ、また来るわね。ちゃんとご飯食べておきなさいね」

 再び戸が硬く閉じられ、薄暗闇が戻ってきたころには耀は再び気を失っていた。

 ――強くならなければならない。これから様々なものを知るためにも。

 闇に落ちていく意識の中で誰かが耀にそう囁いた。


 音遠が耀の部屋から出てくると、すぐ前に何者かが立っていた。

「娘の様子はどうだい?」
「あら、火槌兄様。いらしてたの?」
「緒乃に様子を見てこいと言われたんだよ。まったく…、別に僕じゃなくてもいいじゃないか…めんどくさい…」
「あらあら、でも緒乃の言うことは絶対なんでしょう?」
「…まぁね」

 忌々しげに眉を寄せてブツブツとぼやく火槌を音遠がやんわりとなだめる

「緒乃の命令は別に構わないさ。だけど、あの伊吹の嫁って聞くと首だけになっても喰らいついてきそうじゃないか」
「あら、そんなことしないわよ。いい子よ? 耀姫ちゃん」
「ふん…伊吹の名前を聞くだけでも虫唾が走る」

 自分で口にしながらも癇に障るのだろうか、名前を出す度に眉間に刻まれた皺が深くなり、不機嫌な表情が濃くなっていく火槌。

「僕がここに来るのはこれっきりだ。それの世話はこの子供に頼んだからさ」
「あら可愛い子ね」

 火槌の傍には、火槌に襟を掴まれて立たされている幼い子供がいた。襟を掴まれて、今にもこれから蛇にでも飲み込まれてしまうと言わんばかりに泣き顔で震えている。ようやく十に届くという歳だろうか。パッと見ただけでは性別が判断できないほどの女顔の少年だ。小金色をした毛並みの尾が腰から力なく垂れ下がっている。

「ふん…、子供ぐらいなら殺されても代わりはいるからね…。お前、そこの部屋にいる女の世話頼んだからね」

 不機嫌な火槌の睨みにすっかり竦みあがっている少年は、必死な形相で何回も頷く。

「火槌兄様、そんなに威嚇しなくてもいいんじゃないかしら? 怖がってるわよ」
「…僕は子供が嫌いなんだよ」

 口ぶりだけ聞けば、火槌をなだめている音遠だが、その様子はまるで怖がる子供の様子を面白げに眺めているだけだった。

「じゃあ、頼んだからね」

 そういうと火槌は子供の襟から手を離し、きびすを返して早い足取りで去っていく。開放された少年は気が抜けていたのか、その場でペタンと腰を床に下ろしてしまった。

「うふふ…、ホントは伊吹ちゃんのこと嫌いなんじゃなくて、怖いだけなのにね…」

 可笑しげに不気味に笑う音遠は子供に歩み寄ると優しく立ち上がらせる。

「大丈夫よ。あの人はもう関わってこないから」
「……」

 きょとんとした顔で少年は音遠を見つめている。その少年の顔を見て音遠は少し火槌に対して関心した。

 ――子供嫌いの割にはいい子を選らんだものね…。

「……?」
「いい? そこの部屋にいる子はとても大事な人物…。だからちゃんと世話してあげるのよ。わかったかしら?」
「は、はい…っ」

 怯えがなくなったからか、今度はしっかり声を出して返事をする少年。はっきり通った声の返事に音遠は気を良くしたのか、笑顔で頷き返す。

「いい返事ね。男の子はやっぱりそうじゃないといけないわね」

 音遠が優しく頭を撫でると少年は頬を赤らめてそれを甘んじて受けている。

「あの…」

 おずおずとした様子で頭を撫でられながら少年は声を出す。

「この部屋の方は一体誰なんですか…?」


 火槌は何もこの少年に告げなかったのだろうか。強引に引き摺ってきたのかもしれない。

「うふふ…、この部屋にいる子はね…」

 だが、それも一興。音遠にとって正体を告げてどんな反応をするかを見るのも楽しみの一つでしかない。

「ヤマタのオロチの嫁よ」

 

 


〜つづく〜

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